知財高裁:「五輪」商標は、IOCの主催するオリンピック競技大会の“俗称”として著名

[Newsletter vol.177]

 知財高裁は、令和5年5月22日、IOC(国際オリンピック委員会)が所有する登録第6118624号商標「五輪」(以下、「本件商標」)の第41類における登録性が争われた審決取消訴訟において、『「五輪」の語は、被告の主催するオリンピック競技大会の俗称として著名であって、被告の役務の出所識別標識としての機能を有することが認められる』として、本件商標の登録を有効とした特許庁の審決を指示する判決を言い渡しました。[知財高裁令和4年(行ケ)第10065号/第1部大鷹裁判長]


 本件商標「五輪」は、2017年12月19日に特許庁に出願され、2019年2月1日に登録されました。原告らは本件商標の登録取り消しを求めて異議を申立てましたが(異議2019-900112)、特許庁が登録を取り消さなかったことから、2021年9月13日、商標法3条1項柱書、同項2号、4条1項6号、同7号、同10号違反を理由に、第41類全指定役務における本件商標の登録無効審判を請求しました(無効2021-890047)。しかしながら、特許庁は、2022年6月14日、本件商標は上記無効理由に該当しないとして棄却審決を下したことから、原告らは、これを不服として、同年7月1日、知的財産高等裁判所に提訴しました。


<原告らの主張>

  • IOCは、外国会社ではなく、法律又は条約の規定により認許されておらず、我が国において認許された外国法人(民法35条1項)とはいえない。また、パリ条約の規定を根拠として、「条約の規定により認許された外国法人」(民法35条1項ただし書き)とも該当しないため、商標権者となるための権利能力を有さない。
  • IOCは、「五輪」が創作・使用されて以来現在に至る80年以上という長期間にわたり、本件商標を全く使用しておらず、本件商標の査定・審決時に事業(オリンピック競技大会)を現に行っていることだけを根拠に、本件商標を使用する意思を有していたことを推認することができない。
  • 本件商標は、1936年、4年後に予定された東京オリンピックを報道するために、「オリンピック」の読売新聞独自の呼び名として読売新聞の記者が創作し、使用を開始した後、マスメディアで広く使用され、幅広い商品・役務の事業者によって使用された結果、オリンピック競技大会に関係する標章として国民の間に広く認識されるに至り、俗称となったことからすると、本件商標は、「慣用されている商標」(商標法3条1項2号)に該当する。
  • 本件商標は誰でも自由に使用できる「公有」ともいうべき状態となっており、特定の者に独占されることが好ましくないこと、IOCは「非営利公益団体」ではなく、オリンピック事業は「非営利公益事業」でもないこと、本件商標について、大規模な違法ライセンス活動を大々的に行っていたことなどの事情によれば、本件商標の商標登録は、社会通念に照らして、著しく妥当性を欠くものであるから、「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」(商標法4条1項7号)に該当する

<裁判所の判断>

  • パリ条約2条1 項の規定は、商標法77条3項において準用する特許法25条3号の「条約に別段の定があるとき」に該当するものと解される。IOCは、スイスの法律に従って組織されて存続する法人であり、日本国及びスイスは、いずれもパリ条約に加盟しており、「同盟国の国民」であることからすると、IOCは、「条約に別段の定があるとき」に該当し、同条による権利の享有の禁止は適用されないと解すべきである。
  • 日本経済新聞に、「IOCは東京大会の組織委員会を通じて「日本で『五輪』はIOCが開催するオリンピックを意味するものとして周知、著名だ。既に不正競争防止法の保護対象となっているが商標登録で権利の所在をより明確にし、ブランド保護を確実にしたい」等の記載があることを総合すると、IOCは、「五輪」の俗称でも親しまれているオリンピック競技大会の主催者であって、同競技大会を指称する「五輪」の語を使用する意思を有していたものと認められる
  • 「五輪」の語は、IOCの主催するオリンピック競技大会の俗称として著名であって、被告の役務の出所識別標識としての機能を有することが認められることに照らすと、「五輪」の標準文字を書してなる本件商標は、事業者間において慣用された結果、出所表示機能を喪失するに至ったものと認めることはできない。
  • IOCは、商標法4条2項の「公益に関する事業であって営利を目的としないものを行っている者」に、オリンピック競技大会は、「公益に関する事業であって営利を目的としないもの」に該当する。
  • IOCが本件商標についてその登録査定時までに違法ライセンス活動を大々的に行っていたと認めるに足りる証拠はない。